墨屋原浜崎(すみやばるはまさき)遺跡

沖縄貝塚時代中期~後期

【所在地】名護市字屋我

 屋我市営団地の4号棟裏の広場やその西側の範囲に遺跡が広がっていると考えられています。市営住宅建設の際の試掘調査で、多量の貝類や土器が出土し、住居跡と思われる遺構や、石灰岩を敷きつめた遺構なども検出されました。
 土器の口縁部は、三角形を呈する宇佐浜式土器、口唇部が丸く肥厚するもの、直口のもの、外反のものに大別され、底部は丸底、尖底(乳房状を含む)に分けられます。有文の土器は少なく、押引文と刺突文の2種類となっています。遺跡の時期はだいたい沖縄貝塚時代中期の宇佐浜式から後期前半と推定されています。

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墨屋原浜崎遺跡 現在の様子
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墨屋原浜崎遺跡 出土遺物
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墨屋原浜崎遺跡 試掘調査の様子

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