古我知焼窯跡

近世

【所在地】名護市字古我知

 ※沖縄県指定文化財(史跡) 昭和47(1972)年5月12日指定

 窯跡は小字ウクマタ(奥又原)と呼ばれる場所にあります。窯の存在は早くから知られており、昭和15~16(1940~41)年に何度か発掘調査が行われていますが、残念ながら調査の詳細は伝わっておりません。
 窯の形状については、標高20~30mの丘陵の袋状になった傾斜地を利用して作られていることから、登り窯であったと考えられています。現在窯跡は地中に埋もれており、その規模や基数など詳細については全く分かっていませんが、県の史跡に指定された際の指定書の記述から、少なくとも7基以上はあったと推定されます。
 また、文献資料もほとんどなく、その開窯、閉窯ともに時期や経緯などもはっきりわかっていません。嘉慶14(1809)年の墨書銘が入った厨子甕が見つかっており、少なくともその頃までは操業していたと考えられています。
 これまでに、碗、皿、水甕、耳付壺、擂鉢、厨子甕やその他さまざまな種類の陶片が報告されています。特に緑色や灰緑色の釉薬をかけた碗(灰釉碗)が多く、これは湧田焼や初期壷屋焼の技法によく似ています。また、水甕などの大型のものには釉薬を布や藁などで拭きながら塗る「布拭き・藁拭き」の手法が用いられますが、これは古我知焼独特の手法です。
 

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古我知焼窯跡 現在の様子
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古我知焼窯跡 出土遺物
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古我知焼窯跡 出土遺物
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古我知焼窯跡 出土遺物

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