ナングシク遺跡群

グスク時代~近世

【所在地】名護市字名護

 ナングシクは、名護市街地の東側にある丘陵にあり、標高106mの丘陵頂上部を主郭とするグスクです。琉球王国統一以前の三山時代に、山北(北山)から分かれて名護を領地とした名護按司の居城となった城跡で、1471年に著された『海東諸国紀』という資料にも「名五城」と見えるなど、この時期には本島内の主要なグスクとともに盛行していたことをうかがい知ることができます。

 最大の特徴は、名護岳からの尾根筋を遮断するように設けられた幅8mの堀切と幅2mの二重の堀切があることです。沖縄では一般的に石積みで区画しているグスクが多いのに対し、ナングシクは堀切と曲輪群によって区画しており、石垣を持たない土のグスクです。このような造りは本土の中世山城の築城技術の影響を受けているといわれており、沖縄の城郭技術の多様性を考える上で、非常に重要なグスクです。

 昭和54~56(1980~1981)年度にかけて行われた遺跡分布調査で、頂上から中腹付近にかけて、グスク土器やカムィヤキ、中国製の青磁や青花、沖縄製陶器などが採集されました。

 平成25~26(2013~2014)年度にかけてグスクの範囲を確認するための試掘調査を行った結果、グスク時代の土器や近世の陶磁器類が出土したほか、炉跡や柱穴などの遺構も検出されました。遺物はグスク時代のなかでも、13世紀後半頃からのものが出土しており、この頃に住居が始まったと考えられてます。

 ナングシクの廃城時期は不明ですが、尚真王の時代(1477~1526)に、各グスクの按司達を首里に集めて住まわせる政策がとられたことから、1500年前後には廃城となっったと思われます。

 現在の数久田から宮里にかけての集落は、按司が首里へ移った後にナングシクからおりた人々によって作られたといわれています。

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ナングシク遺跡群 遠景
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ナングシク遺跡群 頂上のアサギ広場
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ナングシク遺跡群 試掘調査の様子
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ナングシク遺跡群 グスク土器
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ナングシク遺跡群 石器
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ナングシク遺跡群 出土遺物(カムィヤキ、高麗系瓦) 

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