我部塩田遺跡

近代

【所在地】名護市字我部

 沖縄の塩づくりは、潮の干満を利用した「入浜式製塩法(いりはましきせいえんほう)」で、那覇市泊の潟原で始まったと伝えられています。屋我地島は、明治13(1880)年頃に塩田が開墾されて以降、県内でも有数の塩の産地として栄えました。しかし、その塩づくりは明治38(1905)年の塩専売法の施行や機械化に押され、次第に衰退し、屋我地島では昭和36(1961)年頃には行われなくなってしまいました。
 我部では、前垣という地域を中心に多くの製塩業者が塩田を営んでいました。製塩業が行われなくなって半世紀以上たった現在でも、我部、饒平名、運天原、済井出には沿岸のあちこちに塩田の区画である石積みや塩づくりの施設がそのまま残っています。また、平成19(2007)年には株式会社塩田が途絶えていた塩づくりを復活させようと、当時と同じ手法で伝統的な塩づくりを再開させており、県内で唯一、かつての塩づくりの様子を観察することができます。
 我部塩田遺跡には、塩田とその設備である堤防や水門が残っており、塩焚き小屋跡地には煙道と煙突、その周辺には「クミ」という「かん水」の濾過(ろか)装置や「ウスタンク」と呼ばれるかん水槽が保存されています。施設には「昭和八年六月工」の文字が彫られており、聞き取り調査からこの年月に製塩施設が完成したことが確認されました。
 平成25(2013)年度には発掘調査が行われ、煙突の構造が他地域には見られない我部独自の構造であることが分かりました。また、クミの内部構造が明らかになるなど、沖縄や屋我地島の製塩史を考える上で貴重な成果が得られました。
※写真・図は参考文献『屋我地島我部塩田遺跡の調査研究』より転載

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我部塩田遺跡 クミの施設
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我部塩田遺跡 煙突
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我部塩田遺跡 満潮時の様子

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