久志古島遺跡・久志前田原水田遺跡

グスク時代~近世

【所在地】名護市字久志

 久志集落の東側にある標高約20mの平坦な丘陵は、集落の古島(以前の集落)と言い伝えられており、ここから喜名焼または知花焼と思われる沖縄製陶器を中心に、中国製青磁、南蛮陶器、灰色瓦、そして壷屋焼の陶器などが採集されました。

 これまでの表面調査によれば、この久志古島遺跡では喜名焼(知花焼?)と思われる陶片が多く、壷屋焼は少量しか採集されていません。これに対して現在の久志集落では、前者よりも後者が圧倒的に多く採集されています。このことから、久志集落が古島から現在の場所に移動したのは喜名焼、知花焼などが廃止されて壷屋焼が創設された1682年前後の可能性があります。

 また、久志古島遺跡の北側で、近代まで利用されていた水田の跡が確認されています(久志前田原水田遺跡)。一番古い水田層からは15世紀頃の中国の青磁が出土しており、この時期には水田が営まれていたことが分かっています。久志古島遺跡と時代が一致しており、古島に住んだ人々が利用していた水田と考えられています。

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久志古島遺跡 出土遺物
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久志古島遺跡付近にある「久志の観音堂」(市指定文化財)

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